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使徒7:1-16「わたしが示す土地へ」 20260510
ステファノは2-3節で、「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。」と、ユダ人に向けて語っています。ここで、「あたたの土地」と「わたしが示す土地」と、土地という言葉が2度も出てきています。そして、「メソポタミア」、「ハラン」そして「わたしが示す土地」と三箇所が語られています。それらの土地がどこに位置しているのかについて、聖書の後ろの付録「聖書地図第1図」を用いて、その位置をご一緒に確認してみましょう。

金森一雄
5月10日読了時間: 9分
使徒6:8-15「天使の顔」 20260503
ステファノは確信に満ちています。15節に「最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。」と書かれています。ステファノは最高法院で神様の真理を語る証人として立っており、その使命性が象徴的に「天使の顔」という表現で示されているのです。
「天使の顔のように」とありますがどんな顔を想像されますか。
いろいろな天使の顔が想像されます。
出エジプト記34章29-31節には、「モーセがシナイ山を下ったとき、その手には二枚の掟の板があった。モーセは、山から下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。アロンとイスラエルの人々がすべてモーセを見ると、なんと、彼の顔の肌は光を放っていた。彼らは恐れて近づけなかったが、モーセが呼びかけると、アロンと共同体の代表者は全員彼のもとに戻って来たので、モーセは彼らに語った。」と書かれています。

金森一雄
5月3日読了時間: 5分
使徒6:1-7「最初の執事」 20260426
2-4節で「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」と、十二人の使徒たちが提案しています。ここで最初に、「食事の世話」とあり、「奉仕」という意味で「ディアコニア」という言葉が使われています。社会福祉の分野に至るまで幅広い意味を持つようになった言葉で、不公平なく食事の分配がきちんとなされるようにすることまで管理することを意味します。ところが、執事に選ばれたステファノとフィリポが「御言葉の奉仕」をしたことが聖書に記されています。ということは、使徒と執事が同じような働きをしながら、十二人の使徒たちは、「食事の世話」にも気を遣ったと考える方が自然で、使徒たちは礼拝の奉仕を中心にして「祈りと御言葉の奉仕」に専念することにしたのでしょう。

金森一雄
4月26日読了時間: 7分
使徒5:17-42「神から出たものなら」 20260419
29節では、最高法院の中で大祭司から、「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。」と尋問を受けています。そして、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」と、主イエスの十字架の出来事を堂々と語ったのです。
さらに32節で、「私たちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証しておられます。」と答えているのです。
33節には、「これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。」と書かれています。そんな時に、ファリサイ派に属するガマリエルという人物が立ち上がります。ガマリエルは35節で、「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。」と、議員たちに語っています。そして38節では、「そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」と提案したのです。

金森一雄
4月19日読了時間: 10分
使徒5:12-16「多くのしるしと不思議な業」 20260412
使徒言行録5章12節に、「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。」と書かれています。神は目に見えないお方で、神は今も生きて働いておられます。
神の業は、わたしたちに働きかけて、人間の手の働きに現れて来る、その手とはわたしたちの手、皆さんの手なのです。「手によって」、この手を通して神の業が現れると聖書は語っています。
「使徒たちが、多くのしるしと不思議な業を行った」と書かれているのではありません。神が生きて働いておられるならば、その働きは人間の手によってなされるのです。それは、わたしたちの信仰の原点であると言ってもよいと思います。

金森一雄
4月12日読了時間: 8分
使徒4:32-5:11「信じた人々の群れ」 20260329
32節に、「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」と書かれています。
信じた人々は、神の独り子主イエスが、わたしたちの全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さり、わたしたちの罪を贖い、赦しの恵みを与えて下さったと信じたのです。そして神の救いの恵みに共にあずかるという信仰に生きるのです。
ここでは、32節の「心も思いも一つにし」という言葉が前提となっています。
まず心と思いが共有されて、それから持ち物すべてを共有していたというのです。33節の後半には、「人々から非常に好意を持たれていた」と書かれています。
2章の46,47節(新217頁)にも、「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた」と書かれていました。
教会の人々が、復活された主イエスと結ばれることによって与えられた新しい命に生きる新しい生活は、周囲の人々から驚きと好意を持って見られ、新しい生き方とな

金森一雄
3月29日読了時間: 9分
使徒4:23-31「大胆に神の言葉を語る」 20260322
31節に、「祈りが終わると、一同が集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。」と書かれています。
29節にも「大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」と書かれていました。2度にわたって出て来る「大胆」という言葉は、聖書の原典ではギリシア語の「パレーシア」が用いられています。
古代のアテネで、世界で最初の民主主義が生まれましたが、民主主義を支える言葉が、「パレーシア」という言葉で、その意味は、包み隠さず話すこと、公に話すこと、誰でも自由に気兼ねなく話すこと、ができるという意味です。
教会の人たちは、「大胆に御言葉を語ることができるように」と願いました。語ることを禁止してくる権力者を排除してください、ではないのです。
わたしたちの自由を抑制するような権力者がいて困難があるかもしれない、けれども「大胆に御言葉を語ることができるように」というのが教会の願いです。

金森一雄
3月22日読了時間: 7分
使徒4:1-22「隅の親石」 20260315
そして、ペトロは冷静に、自分たちを逮捕し、取り調べている人々の姿を観察した上で語ります。
10,11節で「あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です」と、一番大切なことを語っているのです。
ペトロは、詩編118編22節を引用して、あなたがた家を建てる者に捨てられた人こそが主イエス・キリストであり、「隅の親石となった石」のことだと言っているのです。その意味するところは、捨てられた石とはイエスが人々に拒否され十字架につけられたことを指して、隅の親石となったというのは、神がイエスをこの男の救いの中心にされたということを語ったのです。

金森一雄
3月15日読了時間: 10分
使徒3:11-26「ペトロの神殿での説教」 20260308
そして次の26節でペトロは、「それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした」と語っています。
この世を生きる限り、わたしたちの歩みは不完全なもので、欠けが多くて罪がそこにからみついています。
それゆえにこの世を生きるわたしたちの信仰の歩みは、常に悔い改めの連続となり、その都度神のもとに立ち帰り続けるという歩みとなるのです。すなわち、わたしたちはいつも悔い改めて神に立ち帰りながら、救いの完成である主イエスの再臨における慰めの時を待ち望み、忍耐と希望を持って生きているのです。

金森一雄
3月8日読了時間: 9分
使徒3:1-10「イエス・キリストの名によって」 20260301
6節で、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と、ペトロがこの男に言っています。
確かに教会には、「金や銀」はありません。何か魅力的なものがあるわけではありません。
あるものはただ一つ。「イエス・キリストの名」だけです。
日本語で「名は体を表す」と言いますが、聖書では名前は、存在そのものを表します。
「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と命じているということは、主イエス・キリストご自身と共に、立ち上がり、歩くことを求めていることになります。主イエス・キリストの道を一緒に歩きましょう。と誘っていることになるのです。

金森一雄
3月1日読了時間: 17分
使徒2:42-47「喜びと感謝をもって」 20260222
この中で書かれている言葉で、「喜びと真心をもって」と、「民衆全体から好意を寄せられた。」ということに着目したいと思います。
わたしたちが、聖書の言葉をしっかり聞き、聖餐にあずかることを大切にして、主イエス・キリストの恵みを分かち合い、お互いの間での分かち合いと支え合いに喜びと真心をもって生きていくなら、教会は周囲の人々から、畏敬と好意を寄せられるようになるのです。

金森一雄
2月22日読了時間: 8分
使徒2:37-41「主が招いてくださる者」20260215
まっすぐに生きるためにどうすればよいのでしょうか。
38節の言葉をもう一度お読みします。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」と書かれている通りなのです。
すなわちペトロは、悔い改め、生き方の向きを変えて、洗礼を受けて生まれ変わり、赦されて生きる新しい生き方を勧めているのです。それは、聖霊に導かれて、その後の人生を自由に生きる生き方です。この生き方は、39節で「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」と、ペトロが言っています。
あなたも主が招いてくださる者の一人です。わたしたちの誰もが、主が招いてくださる者としての生き方をし始めるのです。賜物として聖霊を受け、生まれ変わった新しい生き方が始まっているのです。

金森一雄
2月15日読了時間: 8分
使徒2:22-36「主イエスの十字架と復活」 20260208
さらにペトロは23節bで、「あなたがたは、律法を持たない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。」と語っています。ペトロは、他人事じゃなくあなたたちの問題なのですよと、当事者意識を促すためにかなり踏み込んだ言い方をします。
それはいったい誰のせいなのか。誰の責任なのか。と、一人一人に問いかけ、「あなたがたは…十字架につけて殺してしまった」、その責めは、「あなたがた」にあるとペテロが言っているのです。

金森一雄
2月8日読了時間: 8分
使徒2:14-21「主の名を呼び求める者」20260201
実はヨエル書には、もう少し続きがあるのですが、ヨエル書の「主が言われたように、シオンの山、エルサレムには逃れ場があり、主が呼ばれる残りの者はそこにいる。」という言葉がカットされています。気が付かれましたか?
ヨエル書では「シオン」「エルサレム」という具体的な場所が救いの中心として強調されていますが、使徒言行録では、救いが特定の場所に限定されないことが強調されています。わたしたちが、「どこにいるか」ではなく「主を呼ぶかどうか」が重要だということが強調されているのです。
そして、ペトロは21節の「しかし、主の御名を呼ぶ者は、みな救われる。」 という預言の言葉の引用をしているのです。

金森一雄
2月1日読了時間: 8分
使徒2:1-13「神の偉大な業」 20260125
2章2節に、その五旬祭の日に一同が一つになって集まっていると、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」と書かれています。ユダヤ人たちが各地から集まって、聖なる集会が開かれて大勢の人が集まる中で、主が約束されていた聖霊が降ったのです。
3節には、そのときの聴覚と視覚に訴える様子が書かれています。そして4節には、「すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」と書かれています。

金森一雄
1月25日読了時間: 7分
使徒1:12-26「祈り、聖書、くじ」 20260118
聖書の文脈に合わせて、そのように翻訳しているのですが、聖書の中で「くじを引く」とか、「運命」という言葉の意味は、「改めて神が定められた運命を人間が引く」ことによって神の摂理を知ろうとする行為のことなのです。日本語で「くじ」とか「運命」と聞くと、星占いに代表されるような神さまとは無関係なもので、神さまとは別の何らかの力を求めている行為を思い浮かべてしまうかも知れませんが、「くじを引く」ということは、可能な限りの準備を万端にした上で神の摂理を求めるということなのです。
使徒たちが聖霊降臨を待っている間にした、祈り、聖書、くじという三つのことは、切っても切り離せない関係にあるもので、一つに結びついているのです。このように、わたしたちの行動は、祈りと聖書に結びついて、最後はくじを引くように、すべては神の節理の中にあることと受け止めて行うことが、大切なことだと示されているのです。

金森一雄
1月18日読了時間: 9分
使徒1:6-11「地の果てに至るまで」 20260111
続く8節では、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」と、主イエスは言われました。彼らに与えられる使命は、主イエスの証人として働くことです。
主イエスのことを宣べ伝え、主イエスによって父なる神が成し遂げて下さった救いのみ業を伝える、そのために彼らは派遣されていくのです。弟子たちに与えられているこの先の道、彼らがなお歩み続けていかなければならない道は、主イエスによって使命を与えられて遣わされていく道だと言うのです。

金森一雄
1月11日読了時間: 9分
使徒1:1-5「約束の聖霊」 20260104
それから4節で、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」、そして5節では、「ヨハネは水で洗礼(バプテスマ)を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼(バプテスマ)を授けられるからである」と書かれています。
「父の約束されたもの」とは、聖霊のことです。そして、聖霊を通して与えられたことが、約束された聖霊を待て、ということなのです。
ここで主イエスは、「洗礼(バプテスマ)」と言われていますが、「洗礼式」の儀式のことを言っているのではないようです。ここで言う洗礼(バプテスマ)という言葉は、「(水に)浸す」という意味です。すなわち、「聖霊による洗礼(バプテスマ)」というのは、聖霊に浸されるということ、聖霊にどっぷりつかること、聖霊を浴びることを指しているのです。

金森一雄
1月4日読了時間: 8分
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