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使徒14:21-28『信仰に踏みとどまる』 20261011
22節には、「子たちを力づけ、「わたしたちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経(へ)なくてはならない」と言って、信仰に踏(ふ)みとどまるように励ました。」」書かれています。
23節には、「弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。」と書かれています。
「弟子たち」とは教会の信徒のことです。ここでは二度使われていますので、弟子たちの教育に目が向けられたことを示しています。
第1次宣教旅行の帰りは、新たな地に向かって行くときに福音を宣べ伝えて来たときに、「喜びと聖霊に満たされていた」弟子たちに目を向けて、教会の信徒たちを励まし教会形成の指導をすることが目的になったのです。

金森一雄
1 日前読了時間: 8分
使徒14:1-20「主を頼みとして」 20261004
3節に、「それでも、二人はそこに長くとどまり、『主を頼みとして』勇敢に語った。」と書かれています。迫害の中で忍耐をもってそこに長くとどまって、主を信頼して大胆に宣教を続けたのです。そして「主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。」と書かれています。ここは、主イエスが主語として書かれていることに注目してください。主が、パウロとバルナバの手を通してその恵みの言葉を証しされて、聖霊の働きが書かれているのです。

金森一雄
3 日前読了時間: 7分
使徒13:42-52「永遠の命を得る」 20260927
使徒言行録13章46-47節で、パウロは、「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を『永遠の命を得る』に値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわたしたちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。』」と語っています。
ここで特に重要なことは、パウロは、「わたしたちは異邦人の方に行く」と言っているのであって、主から命じられた使命を受けて、キリストの救いを異邦人へ運ぶことが自分の使命だったと言っていることです。パウロが、自分で異邦人伝道をを始めたと言っているのではないことです。

金森一雄
9月27日読了時間: 7分
使徒13:13-43「励ましの言葉」 20260920
そして32-33節で、イスラエルの歴史を振り返りながら、神が先祖たちに与えた約束が福音であり、イエス・キリストによって成就されたのだとパウロが語っています。このようにパウロは、イスラエルの歴史を語り人間の状況がどれほど変わっても、神の約束と計画は変わらないこと、そしてその歴史の中で主イエスの十字架と復活を語り励ましの言葉として「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々」に語りかけているのです。

金森一雄
9月20日読了時間: 9分
使徒13:1-12「聖霊に送り出される」 20260913
4節に、「聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた。」と書かれています。こうして教会の新しい伝道の業が始まりました。キプロス島はバルナバの出身地でした。
5節で、キプロス島のサラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせています。パウロとバルナバは、だいたいどの街に行っても「ユダヤ人の諸会堂」を巡っていました。そこにいるユダヤ人たちに語り掛けるところから始め、やがてそれが異邦人へと広がっていくという手順を踏んでいました。

金森一雄
9月13日読了時間: 8分
使徒12:1-25「神の栄光のもとで」 20260906
21-22節には、侍従ブラストに和解を執り成してもらうことによって定められた式典の日の出来事が書かれています。ヘロデ王の権威を象徴するかのように、ヘロデは王服を着て演説をしました。ティルスとシドンの住民の代表者は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。と書かれています。ヘロデ王のことを、あなたはまるで神さまのようです、と言い続けたのです。ヘロデはそう言われて気分もよかったのでしょう。
23節に、「するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に『栄光』を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。」と書かれています。『栄光』という言葉は、普段の日常生活ではあまり使わない言葉ですが、別の言葉で言えば、「栄誉」「称賛」「尊敬」「輝き」という意味です。キリスト者は神の栄光のもとで、神を賛美して神の栄光を指し示す生き方をしています。
一方、ヘロデ王は、どこにでもいる為政者のように、主を信じ受け入れることをせず、自分にスポットライトがあたることを喜ぶ者でした。その結果は、「蛆に食い荒らされて息絶え」るという悲惨なものです。

金森一雄
9月6日読了時間: 9分
使徒11:19-30「キリスト者と呼ばれる」 20260830
今日の使徒言行録11章25節以降は、その続きとなるものです。
それからバルナバはサウロを捜しにサウロ(パウロ)の出身地タルソスへ向かったと書かれています。そして26節でバルナバがサウロを見つけ出してアンティオキアに連れ帰っています。
そして、アンティオキアでバルナバとサウロが丸一年多くの弟子たちを教え、初めてキリスト者と呼ばれるようになったと、書かれています。もはや教会はユダヤ人だけのものではありません。
27-30節に、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来て、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって預言したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こり、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決め、それを実行したと、書かれています。

金森一雄
8月30日読了時間: 8分
使徒11:1-18「三度あって、三人の人が」 20260823
聖書では「三度」「三人」という反復が行われることがあります。それは、文学的・神学的な意味を帯びて用いられていて単なる偶然ではないということでしょう。「七」「十二」「四十」ほど象徴性が強い数字ではありません。
ここでは、三という数字は、「神の御心が確かに示されたこと」を強調する表現をしていると考えるとよいと思います。
ペトロは一つの出来事だけではなく、複数の神の働きが重なっていたことを順序正しく証言して、異邦人への福音宣教は人間の思いつきで始まったことではなく、神ご自身の導きで行われたものであることを、ペトロは自分の体験として証ししているのです。
そして17節で「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」と、神にこそ主権があることを神への謙遜な姿勢を示して語っているのです。

金森一雄
8月23日読了時間: 7分
使徒10:34-48「すべての人の主」 20260816
43節には、「預言者たちも皆、この主イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししている」と語られています。旧約聖書にも、主イエスを信じる者はだれでも、つまり異邦人でも、主イエスのみ名によって罪の赦しが受けられる、という福音が証しされていることがペテロに示され、驚きをもってそれを受け入れて語っています。
ペトロは、ここで主イエス・キリストの救いが異邦人にまで与えられるという、旧約聖書に書かれている預言者の言葉を改めて読み直すことができたのです。主イエス・キリストによる救いは、旧約聖書以来の神の民ユダヤ人に先ず示され、与えられました。ここでペトロが新しくされた、変えられたというのは、一つには、聖書の読み方が変えられたということです。聖書の中に、それまで自分が考えてもみなかった神の救いの恵みを見出すことが出来て驚いています。そのことを受け入れることによって、ペトロは新しくされたのです。

金森一雄
8月16日読了時間: 8分
使徒10:1-33「神の前にいる」 20260809
そして33節では、ローマの百人隊長コルネリウスが使徒のペトロに、「よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、『神の前にいる』のです」と、とても謙遜な言葉で語っています。
このことがわたしたちに教えてくれることは、コルネリウスのようなローマの百人隊長という地位にあった異邦人であっても、謙遜な姿勢で神様の前に立つ時に、真実に神様のみ言葉を聞くことができるということです。
この出来事から、主が語られる言葉を残らず聞こうとする謙遜さを大切にしたいという祈りを込めて、今日の説教題を『神の前にいる』とさせていただきました。

金森一雄
8月9日読了時間: 8分
使徒9:32-43「起きなさい」 20260802
アイネアもタビタも、起き上がりました。35節に、「リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。」、42節に、「このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。」と書かれています。
アイネアとタビタに続くように、続々と、信仰において「起き上がる」者たちが出たのです。聖書に書かれている主なる神を知っていた人たちが、主イエス・キリストを通じて父なる神を知るようになったのです。
ここで、アイネアとタビタという二人の人物が登場しますが、タビタはギリシャ語でドルカスだと説明されています。一方で、ペトロは、アラム語のケファではなくギリシャ語の十二使徒のペトロとして登場しています。
ルカは、このようにギリシャ語とアラム語の人名をを交差させながら、ギリシャ語を話すユダヤ人とアラム語を話すユダヤ人の溝が、伝道によって埋められていったことを表しているのです。
教会は「起き上がった者たち」の集うところです。病や死の闘いがあり、その現実に苦しみながらも、これらが神によって乗り越えられたことを信じるのが、教会のキリスト者たちの信仰です。

金森一雄
8月2日読了時間: 8分
使徒9:19b-31「全地方で平和」 20260726
迫害は、教会を弱体化するように思われがちです。しかしルカは、使徒言行録の9章31節の最後で、教会はますます「増えていった」と強調して用いて結んでいます。
迫害や困難は、福音を止めることができず、神様ご自身が主を畏れる教会を成長させておられる、すなわち「 福音はどんな障害にもかかわらず前進する」ということをわたしたちに伝えているのです。
迫害と言う困難な中にあっても、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方に平和のうちに広がったように、わたしたちが主を畏れ聖霊に包まれて歩んでいくことができますようにわたしたちを用いてください。わたしたちが、過去の歴史や言い伝えにとらわれることなく、み言葉に聴き従って主の憐れみと愛と赦しによって生きることができますよう導いてください。
困難な中にあっても、あなたが共にいてくださりあなたの愛と赦しの心をわたしたちの心の中で成長させることが出来ますようにと祈ります。

金森一雄
7月26日読了時間: 9分
使徒9:1-19a「目からうろこ」 20260719
サウロが5節で、「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」という答えが、主からあったと書かれています。そして8節には、「サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。」と書かれています。
9節には、「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。」と、書かれています。サウロが過ごしたこの「三日間」は、キリストへの迫害を悔い改めて、新しい者へと生まれ変わるための三日間となったのです。サウロはここから、悔い改め、回心し、赦されて、新しい者になっていくのです。ここまで、自分の正義を追い求めて教会を迫害するほど熱心に生きていたサウロが、このような劇的な回心の出来事を経験して、百八十度方向転換をして神様の言葉に熱心に従う者になったのです。

金森一雄
7月19日読了時間: 9分
使徒8:26-40「手引きしてくれる人」 20260712
今日の聖書箇所では、一貫して神様の導きによって物事が進んでいることが書かれています。神様の導きに焦点を合わせて、もう聖書を確認してみましょう。
最初の26節、「さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。」とあります。行き先を告げたのは「主の天使」です。
29節には、「すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。」と書かれていて、フィリポと馬車の中にいた宦官との出会いが主によって備えられたことが分かります。
フィリポはまず馬車へと近づいて行った。そうすると、30節に、「預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえた」と書かれています。そして宦官に、「読んでいることがお分かりになりますか。」と尋ねています。「宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。」と書かれています。ここの「手引きをする」という言葉は、「道案内をする」と言う意味です。

金森一雄
7月12日読了時間: 9分
使徒8:14-25「主に祈ってください」 20260705
ところで魔術師の名前のシモンとは、ヘブライ語ではシメオン(Shimon / שמעון)です。「(神が)聞かれた」「聞き入れられた」という意味の名前で、聖書の中で10人以上の同名異人が登場しています。ここでシモンが、自分のために執り成しの祈りをしてほしいと願うこと自体は悪いことではありません。神に聞き入れられると信じている者の言葉です。ですからわたしはこう考えています。わたしたちは、神様に喜んでいただけることをせず、聖霊を悲しませることをしてしまう者であることを悔い改めて神様に告白し、主イエスの赦しを請う祈りを捧げ続けることが大切だということです。
「あなたは祈っていますか」という言葉は、わたしたちを救う言葉となります。そして、シモンが言った「主に祈ってください」という言葉は、信仰がある者が語る言葉です。

金森一雄
7月5日読了時間: 8分
使徒8:4-14「サマリアでのフィリポの働き」 20260621
ところが、わたしたちに本日与えられた使徒言行録8章1節で、ステファノが殉教して新約時代のエルサレム教会に対する大迫害が起こると、多くの人たちがディアスポラ(離散)したことを語り、その最初の離散した先での出来事としてサマリアの町を登場させています。
フィリポは、使徒言行録6章のギリシャ語を話すユダヤ人とアラム語を話すユダヤ人の間で問題が起きた時に、解決のために教会総会のようなものが開催されて、新たに評判の良い人の中から七人の執事が選ばれたときに、そのリストでステファの次に書かれていたギリシャ語名の人でした。そのフィリポが、ディアスポラによってサマリアに遣わされたようにわたしには思えるのです。まさに、すべてのことは、人間の思いからではなく、神様のご意志が働いて実現していくことが示されているのだと思います。

金森一雄
6月21日読了時間: 8分
使徒8:1-4「ディアスポラ」 20260614
使徒言行録8章1節の終わりに、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に「散って行った」と書かれています。そして4節では、「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。」と書かれています。
ここで、日本語で「散って行った」と書かれている言葉は、ギリシャ語原典の聖書ではディアスポラという動詞です。2度も受け身(受動態)で「散らされた」と書かれています。神様が「散らされた」ということで、神様のご意志,ご計画の中にあることだというのです。

金森一雄
6月14日読了時間: 12分
使徒7:54-8:1a「ステファノの殉教」 20260607
ステファノは、聖霊に満たされてが55節に、聖霊に満たされ、天を見つめ、「神の栄光と神の右に立っておられる」イエスを見た、と語っています。
そして56節には、「天が開いて、人の子が「神の右に立っておられる」のが見える。と言っています。
(人の子イエスが)「神の右に立っておられる」という珍しい表現が、55、56節で二度も書かれています。また人の子とは、主イエスがご自身のことを指して「人の子」という言葉を使われるのですが、ここではイエス以外の人,ステファノが主イエスを指して「人の子」と言っているのですが、この聖書箇所だけで用いられている珍しい表現です。

金森一雄
6月7日読了時間: 9分
使徒7:44-53「わたしの憩う場所」 20260531
48-50節でステファノは、イザヤ書66章1-2節aを引用して、「けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。『主は言われる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしにどんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。これらはすべて、わたしの手が造ったものではないか。」』」と語っています。
幕屋それ自体が大事なのではありません。幕屋は目に見える形であることによって何かを証ししています。幕屋の中には箱がありました。その中に十戒の石の板が納められていました。イスラエルの民は、その幕屋を見るたびに、神様が自分たちをエジプトの奴隷生活から導き出してくださったこと、自分たちが十戒を授けられた神様に選ばれた民であることを思い起こしたのです。それが礼拝の根源になければ神様はお喜びにならないのです。
ですからステファノは、「わたしの憩う場所」とは地理的、物理的な場所ではないと言って、神様は神殿に限定されることはないと語って、信仰の核心へ向かっていくのです。

金森一雄
5月31日読了時間: 9分
使徒7:17-43「モーセの40年」 20260517
30節以下は、モーセの八十歳から百二十歳までの最後の四十年です。
モーセが逃れて、家庭を築き上げた荒野に近いミディアン地方の「燃える柴」の中に主の天使が現れました。そしてモーセは神様の声を聞きました。
32-34節には、『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』、『履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。・・わたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼を救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう』とモーセが聞いた主の声が書かれています。

金森一雄
5月17日読了時間: 8分
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