使徒9:19b-31「全地方で平和」 20260726
更新日:5 日前
(聖書)
ヨシュア記2章1節-21節(旧約341頁)
使徒言行録9章19b-31節(新約230頁)
本稿は、2026年7月26日の日本基督教団杵築教会における聖霊降臨節第10主日礼拝の説教要旨です。杵築教会伝道師 金森一雄
1.回心後のパウロ
パウロは復活の主イエスに出会い、回心し、洗礼を受け、イエス・キリストを迫害する者からイエス・キリストを宣べ伝える伝道者に変えられました。
今日の聖書箇所19b-20節には、パウロは回心して洗礼を受けると、「数日の間」、「すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。」と書かれています。
21 節に、これを聞いた人々は皆、非常に驚いた、と書かれています。そして22 節には、「 サウロ(パウロ)はますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。」とまで書かれています。
イエスを信じる人々を激しく迫害したパウロがダマスコまで来て、クリスチャンを逮捕してエルサレムに連行しようとしていると言うことが情報として流れていたのでしょう。ところが、ダマスコ近くで、天からの光によって目が見えなくなりました。それでも、アナニアがパウロに手を置くと元どおり見えるようになって、聖霊に満たされて洗礼を受け、迫害していたイエスこそが神の子であると宣べ伝えているのですから、人々は一体どうなっているのだと驚いたのです。さらにイエスがメシア、救い主であることを論証したというパウロの豹変ぶりを目の当たりにして、ダマスコに住んでいたユダヤ人がうろたえたというのも無理のないことです。
パウロ自身が、誰よりも熱心なユダヤ教徒であったことについて、新約聖書ガラテヤ人への手紙1章13-14節(新342頁)で、「わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。」と語っています。
そして主イエスからの召命については、15-16節で、「神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた」と語っています。
それから17〜18節で、「エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、15日間彼のもとに滞在しました」と、一旦アラビアに退いて再びダマスコに戻ったと語っています。
使徒言行録には、パウロが「アラビアに退いて再びダマスコに戻った」ことについては書かれていません。アラビアについてパウロは、ガラテヤ4章25節で「ハガルは、アラビアではシナイ山のことで」と比喩として語っていて、ユダヤ人に律法が与えられたシナイ山を想起させる地域でした。ユダ人に律法が与えられ40年間養育された地で、パウロが洗礼を授かって一人霊性を養うときが与えられたのです。パウロにとって、「アラビア」とは、ユダヤ人の歴史観で重要な荒野・シナイ山・神の契約啓示の場所であり、また回心後に神様から直接福音を深く理解させていただく地となったのです。
ルカは、パウロが、アラビアに退いて三年後に再びダマスコに戻ったことに触れずに、23 節で「かなりの日数がたって」と言う言葉で話を続けています。再びダマスコに戻ったサウロを、ユダヤ人たちは殺そうとたくらみます。そして24-25節に、「この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。」と書いているのです。
パウロが、自分の力によるのではなく弟子たちの手によって、籠で城壁づたいにつり降ろされてダマスコを脱出して、神の助けをいただきながらエルサレムへ上っていくことを告げているのです。
2.神様の助け
ヨシュア記2章(旧約341頁)には、モーセの死後、後継者となったヨシュアが、ヨルダン川を渡る前に、西側の対岸の地エリコとその周辺に斥候を出したときに、遊女ラハブがヨシュアの斥候二人を追手からかくまった物語が書かれています。
2章11節bで、異邦人の遊女ラハブは、「あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。」と信仰告白をしています。そして、15節(旧約342頁)には、「ラハブは二人を窓から綱でつり降ろした。彼女の家は、城壁の壁面を利用したものであり、城壁の内側に住んでいたからである。」と書かれています。
この旧約聖書ヨシュア記2章のエリコでの二人の斥候の脱出物語とダマスコのパウロの脱出劇は、共に神さまが必要としている人物を城壁を利用して綱で釣り下ろして命を守った出来事です。
神様の御計画を成就させるために、神様の介在によって助け手を用意してくださることを象徴的に伝えている出来事です。
特に、25節のパウロのダマスコ脱出物語では、「弟子たちに」「夜の間に」「城壁づたいにつり降ろ」されたと、何重にも神様の守りがあったことが際立たされて書かれています。
Ⅱコリント12章10節(新340頁)でパウロは、「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」と語っていますが、このような脱出物語を経験したパウロの言葉として、キリストがわたしたちの主であり、主が助けてくださることを伝える励ましのメッセージになっているのです。
城壁づたいにつり降ろされたパウロは、ダマスコからエルサレムに赴くことになりますが、26 節に「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。」と書かれています。
「かなりの日数」、三年たっていたとしても、パウロはユダヤ人たちの仲間のふりをしているだけではないかという疑いはぬぐえず、また新らたな迫害がはじまるのではないかと思った人もいたのでしょう。かなりの日数がたっていたと言っても、教会の迫害者としてパウロの悪名は広がっていたので、無理もないことだと思います。
3.バルナバの働き
バルナバについては、使徒言行録4章36節(新220頁)で、レビ族の信者の一人で「慰めの子」と言う意味の名前であると紹介されていました。ここでバルナバは、主イエスがパウロにどう働いてくださったのかを、自分で見たこととして証言することによって、慰めの子として執り成しの働きをしています。
27 節に、「しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。」と、そして28節に、「それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。」と書かれています。この時は、パウロを紹介するだけの働きをしています。
29節には、ギリシャ語を話し、イエスの福音を信じないユダヤ人からパウロの命が狙われていたことが書かれています。先に9章16節で、主イエスがアナニアに「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」と語られた通り、パウロの苦しみが続いているのです。
しかし、神様はわたしたちの苦しみの先にそれに勝る喜びを用意してくださっておられる方です。30節には、「兄弟たちは、サウロを連れてカイザリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。」と書かれています。
タルソスは、洗礼を受けたパウロの故郷ですから、身の安全な避難先でした。神様がパウロを将来の異邦人伝道のために備えられた大伝道者として用いられるための準備期間として備えられた地だったのです。
これ以降、パウロはしばらく聖書の記録の表舞台から姿を消します。再びパウロが登場するのは、11章25節です。そのときには、バルナバがパウロを探しにタルソスまで行き、アンティオキア教会に連れ戻して来る出来事が書かれています。ガラテヤの信徒への手紙2章1節には、パウロの回心後14年たって、パウロが二度目にバルナバと共にエルサレムに上った経緯が書かれていますが、使徒言行録では、バルナバがエルサレム教会から遣わされたことなどには言及せれずに、神の働きが進んで行くことを書き記しています。
4.教会は一つ
31節には、「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」と、書かれています。
新共同訳聖書では、「①全地方で平和を保ち、②主を畏れ、③聖霊の慰めを受け、④基礎が固まって発展し、⑤信者の数が増えていった。」と、このように五つの言葉が並列して書かれています。
この箇所について、ギリシャ語原典では、①「平和を保ち」と④「基礎が固まって発展し」という言葉がつながって書かれていますので、直訳しますと、「一つの教会が、平和のうちに築き上げられた」ということになります。
教会が生まれ、それぞれの教会がバラバラになってしまうのではなく、主イエスを頭とする一つの教会として平和を保っていたと書かれています。それから、②「主を畏れ」③「聖霊の慰めを受け」⑤「数が増えて」いったと、一つの教会が主語となってすべて単数形の動詞で書かれています。日本語では「信者の数が」と加えられていますが、ギリシャ語の原文では「信者の数」とは書かれていませんが、「(教会が)増えていった」と単数形で書かれているのです。
ですから31節の「教会」とは、エルサレム教会はもちろんのこと、ガリラヤやサマリアにある数々の教会も含めて、全地方の教会を包摂した主イエス・キリストを頭とする一つの教会のことであり、主イエスの教会が、「全地方で平和のうちに基礎が築き上げられ」て、「主を畏れ、聖霊の慰めを受けて増えていった」と書かれているのです。
迫害は、教会を弱体化するように思われがちです。しかしルカは、使徒言行録の9章31節の最後で、教会はますます「増えていった」と強調して用いて結んでいます。
迫害や困難は、福音を止めることができず、神様ご自身が主を畏れる教会を成長させておられる、すなわち「 福音はどんな障害にもかかわらず前進する」ということをわたしたちに伝えているのです。
迫害と言う困難な中にあっても、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方に平和のうちに広がったように、わたしたちが主を畏れ聖霊に包まれて歩んでいくことができますようにわたしたちを用いてください。わたしたちが、過去の歴史や言い伝えにとらわれることなく、み言葉に聴き従って主の憐れみと愛と赦しによって生きることができますよう導いてください。
困難な中にあっても、あなたが共にいてくださりあなたの愛と赦しの心をわたしたちの心の中で成長させることが出来ますようにと祈ります。
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